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それなのに、親は「キモイ」という言葉にだけ反応して、「で、あなたはどうなの?」と聞いてくる。子どもが「私も」なんて言おうものなら、「ええー、なんでなんで?」となり、子どもの視点から見た話だけを安易に受け入れていく。最終的には、子どもの視点に自分を全部同化させて、「子どもを守るために私が闘わねば」と、ものすごい戦闘モードになってしまう。
子どもの気持ち=自分の気持ちが最優先で、その過程に「大人の視点」がまったく入ってこないわけです。こういう会話が成立してしまうのは、やはり、いまの時代がそれを許すムードをつくってきたからなのでしょう。あいまい領域の言葉をなくそう。たとえば「ビミョー」という表現に代表されるように、どこかあいまいな領域のなかで、それが指すほんとうの意味を考えないまま、とりあえず何か言った気分になれる言葉ってあるじゃないですか。
親は、もし子どもがそういう言葉の使い方をしたら、具体的に「それ、どういうこと」と聞いてあげなくてはいけませんよね。「キモイ」も同じですよね。いまの子どもが使う表現には、具体的な意味の定義を避けたまま、自分の生理的な感覚だけを絶対視して使う言葉が多いでしょう。
子どもに「ビミョー」って言われたら、「それは旦ハ体的にどこがどうビミョーなの?」と聞くだけで会話は展開していくんですね。「いまの表現を、別の言葉で説明せよ」ということです。最終的には「『ビミョi』じゃなくて、ちゃんとこういうことって説明できるじゃない」というところまでいく。「あいまい領域」の言葉で、二言三言の会話ですませているうちは、自分がほんとうは何を考えているのか、何を言いたいのかはわからないはずですから。
経営者交流会の種類にもいろいろあるようですが、同業者が集まるというものよりも異業者が集まるものが多いようです。多種多様な意見交換ができたりするところがメリットでしょうか。
現在、市内の小学校で教員をしています。ハローワークに「講師 求人」というのがあり、教員免許もあったことから応募してみたのがきっかけです。教えるのは難しいですが、新しく経験することが多く新鮮な毎日です。
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「みんな同じ」がほんとうにいいのか。しかし、実際に親の立場からすると、いまのような環境下では、やっぱり受け入れにくいですよね。専門家から、「おたくのお子さんは……」と言われたとしても、「知的な発達に遅れはないのに、どうして特別な学校に行かなければいけないのですか?」と言うと思うのです。
とはいえ、やはり親ですから、そう告げられる前に、うすうす感づいている部分もあるのではないかと思います。子育てを母親まかせにしている父親は、感づいていながら、それを母親のしつけが行き届いていないせいにしてしまうこともありそうです。たとえば、身のまわりが片づけられないとか、学校でもらったプリントがどこにあるかわからないとか、カバンのなかを見るとごちゃごちゃで、ぜんぜん整理ができていないとか。